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「うそつきは漫画家の始まり」
とは、某漫画の描き方の本に載っていた言葉である。「うそつきは泥棒の始まり」という言葉をもじったものであるが、本当の事なのでしょうがない。
漫画というのは、嘘である。人間の手によって描き出した、架空の世界。
「このストーリーはノンフィクションです」のつもりで書いても、実際にはそうはいかない。ノンフィクションは漫画より、ドキュメンタリー番組の十八番だろう。しかしそのドキュメンタリー番組でさえ、場面編集のやり方や解説の仕方の違いによって、全く違った内容になるのだ。まして、漫画は描き手の考え方が表れやすいもの。偏った内容になるのも無理はない。
では、何故人々はそのような「嘘」に魅了されるのか?実は、それにはカラクリがある。
漫画は嘘である、という大前提があるゆえに通常の本よりも規制が掛かりにくい。つまり「何を描いてもいい」という自由度があるのである!普段は怒られる様なことでも「これはくだらない嘘なので許してください」という言い訳が効くわけだ。
言葉にすると、言いにくい伝えにくい、時には怒りを招くかもしれない感情も「漫画」なら伝えることが出来る。「王様の耳はロバの耳」に登場する理髪師のごとく、誰かに伝えたいんだけど言いにくい、そんな出来事も漫画なら発表可能!描き手にテクニカルにぼかす技術があるなら、ネタにされた側も気が付かなかったりする…。
また失敗も、漫画にすれば笑い話となる。負の感情をも笑いという元気のエネルギーに変換出来る漫画媒体の威力は問題を抱えた現代社会には有効な「癒し」の手段だ。鬱になるような出来事も、漫画にしてみると馬鹿馬鹿しくなって、気が晴れるかもしれない。プロともなると、日常生活で起きるすべての事がネタに繋がり、それで飯を食っていったりしているのだから漫画というのも大したものだ。
そうして、多くの漫画が描かれていったとき、何が残るのだろう。ただの役に立たない、忘れ去られてしまう「嘘」の山なのだろうか。いや違う。きっと「嘘という名の元に」、その時代の人々が心に抱いていた「本音」が作品から読み取れるだろう。手塚治虫が「漫画を一言でいうと何か」という質問に「風刺」だと答えたそうだが、流石は漫画の神様と呼ばれる方だけある。漫画を見ればその時代に生きた人々の思考がわかるというわけだ。
そうした事を踏まえると、後世の人が今の書店に並んでいる漫画を見て、今の時代の我々をどんな人間と判断するだろうか?なんていう考えも頭をよぎる。願わくば、呆れられません様に!!(苦笑)
(2006年6月19日:栗本たくみ記)
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